平成30年を振り返って

2018年12月21日

本年もあと11日となりました。この時期になって、年末の雑事を全くしていない!昨年にも増して冷や汗ものの年末となっておりますが、本年を振り返ってみたいと思います。
まず、ブログですが・・・。本年は、今回含め2回の更新でございました。それにしても早かった1年です・・・。


本年も、母中心の1年でございました。持病の関係で肺炎のような状態になり、本年は母が2月と7月に入院しました。しかし後半は安定していたので、来年もこのままキープしてほしいなぁと思っております。


あれほどデイサービス系のものを拒否していた母ですが、1度目の退院の後、行ってもいいと言ってくれて、那覇市の事業で、3時間少人数で体操をするという「地域リハビリ教室」に母も参加させて頂きました。基本3か月という期限付きのものでしたが、とてもいいリハビリ教室だったと思います。母も無事卒業してくれました。その後、お友達にケアマネさんを紹介して頂き、週1でデイサービスに通ってくれています。


本年は、悲しい訃報も多かった年でした。
2月9日には、私の師匠の師匠である、八重山音楽安室流室山会の名誉会長でいらっしゃった、山里勇吉先生が満92歳で亡くなりました。太陽のようなお人柄で、のびやかでおおらかな素晴らしい歌声をお持ちの唄者でいらっしゃいました。





近年の思い出を少し・・・。

むろやま交流会 歌碑めぐりバスツアー2014」(2014年09月24日)

沖縄県社会福祉協議会「第17回芸能チャリティ公演」が行われました」(2014年11月12日)

勇吉先生の研究所の初興しに伺いました。」(2015年01月14日)



8月8日には、沖縄県知事でいらっしゃった、翁長雄志さんが膵がんのため、67歳で亡くなりました。本当に衝撃で悲しい訃報でした。翁長前知事の最後の記者会見の映像はこちらです。亡くなる12日前でした。
rget="_blank">翁長知事の記者会見、コメント全文 埋め立て承認撤回を表明(2018年7月27日/沖縄タイムス)」
現在は、9月30日に行われた沖縄県知事選で玉城デニーさんが、自民党と公明党が推した前宜野湾市長に約8万票の差をつけて当選し、翁長前知事の遺志を継いで県民のために奮闘して下さっています。
しかし、先日は、辺野古の海に土砂が投入されました。近年現場にも全く行っていない私ですが...。
どうぞ皆さま、こちらをご覧下さい。こちらの文章と、たった15分の動画をご覧になって下さい。

埋められたのはこの国の未来~辺野古の海に土砂投入」(三上智恵さんの「マガジン9」より)


話は変わりますが、本年の唄三線は・・・。


八重山音楽安室流室山会は、勇吉先生亡き後も、金城盛長会長のもと、毎月のむろやま研修会も欠かさず、活動を続けております。



勇吉先生のライフワークだった、社協チャリティ公演は、本年も変わらず開催されました。



控室では勇吉先生が見守って下さいました。

10月12日には、勤王流八重山舞踊保存会 無錆之会 川井民枝先生の独演会、第十回「踊り清冽(ぶどぅりかいしゃ)~師匠(うや)ぬ御思義(みぶぎん) 肝(んに)にすみ~ 先達の歌心にのせて」で、室山会は「八重山育ち」を歌わせて頂きました。

女子でパチリ!

その他、私個人的には、永楽の大将やそのお弟子さんにお声掛け頂き、つたない笛でお手伝いさせて頂いたり、




お祭りで太鼓のお手伝いをさせて頂いたり、


余興で太鼓のお手伝いをさせて頂いたりしました。


それから、とぅばらーま糸満大会にも出場させて頂きました。




前回は、戦のことを歌いましたが、本年は、母のことを歌いました。

杖(ぐさん)ば つくんで 悲嘆(がまらさ)しょうんな (杖をつく老人となったと悲しまないで下さい)
かにぬぱんちぇーで寂(しぃかさ)しょうんな (呆けになったと寂しく思わないで下さい)

天ぬ頂(つぃじぃ)だぎ 親ぬ恩義(ぶんぎ) (天空の頂上のような親の御恩や)
言葉(むに)ぬ数々 今(なま)どぅ思うり (親の話した言葉の数々がしみじみと思われる)
--------------歌意:「とぅばらーまの世界(太田静男 著)」より--------------

今年の締めくくりは、母がお世話になっているデイサービスの忘年会でした。スタッフのNさんが唄三線なさるということで、三線と太鼓を交替しながら楽しく余興させて頂きました。

母はいつも通りでしたけれど(笑)、ちょっとはわかってくれたかなぁ。終わった後、他の入居者さんとお話しできたのも良かったです。


今年も母には、旅行に行ったり、


お誕生会したり、


普段仕事でほったらかしなので、時々頑張ってイベントを作っているのですが、来年も年明けから色々企画しているので、元気で長生きしてほしいです。
こんな私たちですが、本年も皆様に大変お世話になり、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。


  

仲宗根幸一さん

2012年04月26日

4月25日の琉球新報で、仲宗根幸一さんの訃報を知りました。4月22日朝、道路を横断中に事故に遭われたのだそうです。
心よりご冥福をお祈りいたします。

仲宗根幸一さんのフィールドワークによる、琉球弧の民謡研究の著書、"「しまうた」流れ"(1995年8月、(有)ボーダーインク発行)、「しまうた」を追いかけて"(1998年3月、(有)ボーダーインク発行)を、当時読ませて頂き、沖縄・宮古・八重山だけでなく、奄美民謡の記述も多くて勉強させて頂きました。
この二冊のうちどちらの発刊時か聞きもれましたが、この「しまうた~」の出版記念パーティで、私共の師匠も何曲か歌われたそうです。
師匠が常々、「沖縄・宮古・八重山・奄美に関係なく、いい歌はいい。」というのを聞いて本当にそうだなぁと思い、そして、仲宗根幸一さんの著書でそれらの源流を学ばせて頂きました。
もう一度、あらためて、読み返させて頂きます。  

Posted by うみかじ at 22:41Comments(0)ご冥福をお祈りいたします

ご冥福をお祈りいたします。

2010年04月08日

屋良文雄さんが、本日、ご逝去されたそうです。

・・・屋良のお父さんの優しい笑顔が目に浮かびます。
ご闘病中もライヴを続けられ、私が最後に拝見したのは、今年2月9日の寓話での屋良文雄トリオでした。
ご病気にもかかわらず、ピアノにはそれが全く感じられなくて、本当に素敵な演奏でした。

屋良文雄さんを初めて拝見したのは、'94年。
内地からポコッとやって来て一人暮らしをしていた何も知らない私にも、最初から皆と同じように声を掛けて下さった優しい方でした。
酔ingで渡辺香津美さんとセッションなさったのを拝見したのもこの間みたいな感じがします。

心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

お悔やみの記事はこちらです。  

Posted by うみかじ at 18:48Comments(2)ご冥福をお祈りいたします

お悔やみ申し上げます

2010年02月12日

ベルギー在住の指揮者、儀部寛さんが一昨日、がんのためご逝去されたそうです。
今朝の新聞で知りました。
大変お若いのにと思います・・・。

ご冥福をお祈りいたします。
ご親族様にも心より、お悔やみ申し上げます。





お悔やみの記事はこちらです。  

Posted by うみかじ at 11:26Comments(0)ご冥福をお祈りいたします

大きい先生の一周忌

2009年10月16日

今日は、師匠のお父様、盛市先生の一周忌です。早いです・・・。
盛市先生、というとパッと思い出すのはやっぱり、三味線店に伺うと横の作業場からニコニコと出てこられる、タオルとシャツの職人姿の盛市先生。
いつも色々と話しかけて頂きました。師匠に用事で訪問してご不在の時も、盛市先生がおられるとほっとしたなぁ。

また、昔、私が琉球民謡協会の新人賞を受験する前、コンクールのリハーサルで(琉球民謡協会の頃は、公民館の畳の広間で、支部の先生方の前で順番に歌うというこわ~いリハーサルがあった)、唇がプルプル・歯がガクガクするほど緊張したので(本番以上に緊張した)、終わってから盛市先生が来て下さり、そんなに緊張しなくていいよ(というのを方言で)、と一生懸命おっしゃって下さったのが昨日のようです。

いつだったか、まだ師匠のお譲ちゃまが小さくて、師匠の上に乗って遊ぶくらいの時でしたが、一度、おうちでご一家の昼食の時に伺ったら、盛市先生に一緒に食べて行きなさいとおっしゃって頂き、恐縮しながら頂いたことがありました。
あんなことは、後にも先にもあの時だけでしたが、暑い日で、何の話の流れだったか、「こんな暑い日に弁当を持ち歩いたら痛んでしまうよ。」というようなことを言われたのを、細かいことまで心配して下さるんだなぁと何故だかこの思い出の中ではここがピンポイントで印象に残っているのです。(変なことだけ思い出すなと師匠に怒られそう・・・?)

今日は仕事がシフト休みだったので、昼間に手を合わせに行きましたが、写真の中の盛市先生も素敵な笑顔でした。
今はまだこちら側にいる私達は、こうして時々盛市先生のことを思い出して、懐かしく思い出話をしていきましょうね。  

Posted by うみかじ at 20:50Comments(0)ご冥福をお祈りいたします

忌野清志郎さん

2009年05月03日

忌野清志郎さん。
生きていて欲しかった・・・。  

Posted by うみかじ at 07:05Comments(2)ご冥福をお祈りいたします

ご冥福をお祈りいたします

2009年04月27日

京都の友人から、訃報が届きました。
友人の学生時代からの友達でしたが、私も20代の頃に時々顔を合わせていた人でした。

バイクでの単独事故で、飲酒運転だったとのこと。
奥様やご親族のお気持ちを考えると・・・。

この短い訃報の裏には、いくつものやるせなさがあります。
今はただ、ご冥福をお祈りするだけです。  

Posted by うみかじ at 22:29Comments(0)ご冥福をお祈りいたします

ご冥福をお祈りいたします

2009年01月09日

私共の弟子仲間、仙台教室のメンバーKさんが、昨日亡くなられたという知らせを今日受けました。
入院闘病中でいらっしゃったとのこと。悲しくて淋しい思いでいっぱいです。
昨年、新人賞を受験された時の笑顔を思い出します。
見事合格されましたよね。

研究所メンバー一同、心より、ご冥福をお祈りいたします。  

Posted by うみかじ at 23:37Comments(0)ご冥福をお祈りいたします

いっちゃん

2006年08月31日

いっちゃんが亡くなったと、今朝の朝刊で知りました。

'94年から1年ほど那覇に住んでいた頃、ライヴイベントや芸能関係のイベントを観に行くと、よくいっちゃんの姿を見かけました。
当時、毎月行われていたリウボウホールでの新良幸人さんのライヴでは、いっちゃんのちょっとテンポのずれた手拍子が楽しかった。
松山にあった酔ingのイベントにはいつもいっちゃんがいたし、今はなくなってしまった奥武山でのオリオンビアフェストでも見かけていました。アコMのライヴを観ていた時、ふとみるといっちゃんが座っていて、「いっちゃんビール飲む?」と聞いたらジュースがいいと言われたのでいっちゃんにはジュースを買ったのを思い出します。その後、友達にその話をしたら、「いっちゃんはビール飲まないから。」と教えてくれました。
買い物でパレットあたりを歩いていたら、いっちゃんを見かけることもよくありました。

いっちゃんが観に来た芝居は当たると言われていたので、観に行った所にいっちゃんがいると、やったー!と嬉しいものでした。

'02年にまた那覇に引っ越してきた時、私自身のイベントに行く機会が少し減ってしまったので、いっちゃんを見かけることも少なくなってしまいました。
たまにいっちゃんの姿をみると、あ、いっちゃん元気なんだ!と嬉しくなって・・・。

私が最後にいっちゃんの姿を見たのは、今年の6/18、桜坂劇場での「めいどいん栄町市場」CD発売記念ライヴでした。

もう、いっちゃんの姿を見られないと思うと本当に淋しいです。
心よりご冥福をお祈りいたします。  

Posted by うみかじ at 07:30Comments(2)ご冥福をお祈りいたします

市川修さん

2006年02月03日

京都のジャズピアニスト、市川修さんが亡くなられたと友人からのメールで知りました。
享年56歳だそうです。

市川さんは、私がよくお世話になっていた京都のSesamoという生演奏のあるお店で、毎週ピアノを弾いておられました。  続きを読む

Posted by うみかじ at 07:49Comments(0)ご冥福をお祈りいたします

本田美奈子さん

2005年11月06日

本田美奈子さんが亡くなりました。急性骨髄性白血病で、38歳でした。
7月に退院されて、回復に向かっておられるとばかり思っていたのに・・・。

1985年にデビューされた時、あのかわいらしさと抜群の歌唱力で私はすぐファンになってしまったのですが、その後美奈子さんはちょっとお色気のある歌や、女性ロックバンドに移行され、そのうちに活躍の場をテレビから舞台へと移され、あまり姿をテレビで観る機会もなくなっていたのですが、近年はクラッシックの歌唱法を体得してCDをリリースされ、新しい境地と評価されていたのでした。
過去には、私の大好きなQueenにもその歌唱力を評価され、ロンドンレコーディングを行ったこともある美奈子さんです。
2003年5月にリリースされたクラッシックアルバム「AVE MARIA」は、透き通るような繊細なソプラノ、人類愛に満ち聴くものを癒す歌声で、近年の私のヒーリング&スリーピングCDとなっていました。

心より、ご冥福をお祈りいたします・・・。  

Posted by うみかじ at 23:51Comments(0)ご冥福をお祈りいたします