嘉手納基地・黙認耕作地・砂辺の米軍上陸地モニュメント・辺野古を巡りました。
2015年05月16日
先日5月9日、沖縄に滞在中のKさん(「沖縄平和学習論」の著者で横浜市立大非常勤講師)と、Aさん(丹波新聞記者)が辺野古にいらっしゃるということで、私が運転手を務めることになり、同行させて頂きました。
まずは、道の駅かでなの道向かいにある黙認耕作地横の安保の丘から、嘉手納空軍基地(嘉手納飛行場)を眺めました。
「昼も夜も今日もわめくか米軍機」
目前を飛び立っていく飛行機。
黙認耕作地の向こう側に、駐機している飛行機が見えます。
北谷町砂辺の砂辺馬場公園に移動。「第二次世界大戦米軍上陸地モニュメント」を見たいとのAさんのリクエストにより。
沖縄戦で、1945年4月の米軍による沖縄本島最初の上陸地点が、ここ砂辺だったということです。70年前のその日、そしてむごい沖縄戦に思いを馳せます。
すぐ近くには、「砂辺の浜之歌碑」もありましたよ。
辺野古へ向かうため、沖縄自動車道に。途中、伊芸サービスエリアのレストランで昼食をとりました。
そして、辺野古に到着。私はいつも、まず浜辺の受付テントに直行してしまうので、あるのを知らなかったのですが、辺野古の海を見下ろす公園の丘にある、平和之塔です。
辺野古の浜辺の受付テントへ。初めての方は、こちらで色々な説明をお聞きになって下さい。
松田の浜に寄ってから、ゲート前へ移動しました。
こどもの日の後だったので、鯉のぼりが多数。風になびいて綺麗です。ムーチーの日の後に行った時は、ムーチーだったなぁ。
雇われたアルソックの人たちが団子になって何かを守っている近くに、Aさんが社会見学に近寄る。
集会では色々な人が入れ替わり立ち代わり、話したり歌ったり踊ったりしています。
私も一緒に歌ったりそこにいたり。色々な連帯の形があります。
辺野古の街にて。
新基地建設を強行されているのは、辺野古だけでなく、高江もです。
5月13日、私の住む那覇市では「『沖縄建白書』を実現し未来を拓くオール沖縄 那覇の会」さんが結成総会を行いました。
5月17日13時からは、「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が、3万人規模で沖縄セルラースタジアムにて行われる予定です。
私も、自分の意思を表明しに行きます。
まずは、道の駅かでなの道向かいにある黙認耕作地横の安保の丘から、嘉手納空軍基地(嘉手納飛行場)を眺めました。
「昼も夜も今日もわめくか米軍機」
目前を飛び立っていく飛行機。
黙認耕作地の向こう側に、駐機している飛行機が見えます。
北谷町砂辺の砂辺馬場公園に移動。「第二次世界大戦米軍上陸地モニュメント」を見たいとのAさんのリクエストにより。
沖縄戦で、1945年4月の米軍による沖縄本島最初の上陸地点が、ここ砂辺だったということです。70年前のその日、そしてむごい沖縄戦に思いを馳せます。
すぐ近くには、「砂辺の浜之歌碑」もありましたよ。
辺野古へ向かうため、沖縄自動車道に。途中、伊芸サービスエリアのレストランで昼食をとりました。
そして、辺野古に到着。私はいつも、まず浜辺の受付テントに直行してしまうので、あるのを知らなかったのですが、辺野古の海を見下ろす公園の丘にある、平和之塔です。
辺野古の浜辺の受付テントへ。初めての方は、こちらで色々な説明をお聞きになって下さい。
松田の浜に寄ってから、ゲート前へ移動しました。
こどもの日の後だったので、鯉のぼりが多数。風になびいて綺麗です。ムーチーの日の後に行った時は、ムーチーだったなぁ。
雇われたアルソックの人たちが団子になって何かを守っている近くに、Aさんが社会見学に近寄る。
集会では色々な人が入れ替わり立ち代わり、話したり歌ったり踊ったりしています。
私も一緒に歌ったりそこにいたり。色々な連帯の形があります。
辺野古の街にて。
新基地建設を強行されているのは、辺野古だけでなく、高江もです。
5月13日、私の住む那覇市では「『沖縄建白書』を実現し未来を拓くオール沖縄 那覇の会」さんが結成総会を行いました。
5月17日13時からは、「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が、3万人規模で沖縄セルラースタジアムにて行われる予定です。
私も、自分の意思を表明しに行きます。